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映画感覚思考

映画を観て感じたこと、考えたことを書いていきます。

映画感想:『ぼくのエリ』

 

 この映画のタイトルは『ぼくのエリ』で覚えてから、レンタルで探して観てください。その後に続く副題なんて存在しません。

『ぼくのエリ』、ですよ。

 

 

 

 

 

      『ぼくのエリ』

    原題:Låt den rätte komma in 『正しき者を招き入れよ』

 

 

 

あらすじ

 スウェーデンストックホルム郊外に住む12歳のオスカーは独りだった。学校では級友にいじめを受け、両親は離婚している。そんなオスカーの興味は、近くで起きた 殺人事件の記事をスクラップすること。学校で受けたいじめを、ナイフ片手に相手にやり返す所を想像すること。これは、そんなオスカーのある出逢いを描いた物語―。

 

 

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 いいですか、この映画のタイトルは『ぼくのエリ』です。おっと、TSUTAYAで探すときは検索機を使わないで。薄目になって、棚を探してください。『ぼくのエ』あたりまで目に入ったら、それを取ってレジに行きましょう。完璧です。DVDを開けて、プレーヤーに入れる時も薄目でいきましょう。完璧です。新作案内が終わって、メインメニューが出て来るまで薄目でいましょう。完璧です。メインメニューになったなと思ったら、再生ボタンを押しましょう。素晴らしい、完璧です。あとはゆったりと、北欧の静かな雰囲気を味わいながら、物語をご鑑賞ください。完璧です。

 

オススメ度:----(評価不能)

 

 

  ↓↓↓以下ネタバレを含みます。↓↓↓

 

 どうでしたでしょうか。オスカーとエリの出逢いの物語。北欧の静かな雰囲気の中で起こる、想い合いの物語。きっと、静かな余韻が残っている事でしょう。

 しかし、ここで残念なお知らせをしなければなりません。日本の映倫がボカシを入れたシーンがありましたね。このシーンをネットで調べてみてください。とてもとても重要なシーンなのです。そこから、この映画の点と点が結びついていくはずです。どうでしょう。この記事の誘導に沿って、映画を観た方であれば、最低最悪の邦題にミスリードされずに、映画を観て、なるほどと、腑に落ちたかかもしれません。不幸な事に、最低最悪な邦題にミスリードされてしまった方は、どう思ったでしょうか。

 私ですか?ええ、憤慨しましたとも。もう一度言いましょうか?

 

 めちゃくちゃ怒ってますよ!!

 

 本当に最低最悪な、酷い邦題だと思います。配給した会社が付けたのですかね、本当に酷いです。私は完全にミスリードされてしまいました。完全に映画の見方が違っていたのです。映画を楽しんだ後で、これほど怒ったことはないです。ボカシは1000歩譲って仕方がないとしましょう。あのボカシを入れて、この『ぼくのエリ 200歳の少女』なんて邦題を付けたらエリが少女としてしか認識できないじゃないですか。本当に腹が立ちます。

 

 今回は完全に、最低最悪な酷い邦題にミスリードされたので、適切な評価が出来ません。ですが、後からエリが実は“去勢された子ども”であった事を考えると、とても深い意味合いの映画だと思います。オスカーはその事実を知ったうえで、エリと共にゆくのですから。エリの“女の子じゃない”というセリフや、オスカーがもう一方の親の家に預けられた時に現れた来客の見え方も変わってきます。適切に観られなかった事が、本当に残念でなりません。

 

 先ほど、ボカシは1000歩譲ると言いましたが、PG12をかけるのであれば、R15にしてボカシを取って頂きたいです。でないと、この映画の根幹をなす大切なあのシーンの意味が、ただのオスカーの恥じらいにしかならないでしょう。大問題だと思います。作り物の千切れた腕にボカシを入れずに、作り物の性器にボカシを入れるのはどうしてなのでしょうか。オナホールやディルドにもボカシを入れるのでしょうか。

 

 そして、これは個人的な提言ですが、発音的に“エリ”ではなく、“イェリ”の方が適切ではないでしょうか。“イェリ”を“エリ”として表現するところに、日本のジェンダー規範が透けて見える気がします。この作品の扱い方が、日本のジェンダー規範を体現しているといっても良いかもしれません。

 

 作品自体は一見の価値のある作品だと思いますが、日本版のこの現状では、英語が出来る方に輸入盤を見て頂きたいというおすすめしかできません。繰り返しますが、作品は表現にとても踏み込んだ、良い作品だと思います。

 

 

 ここから話は逸れて、復讐を主軸にしたストーリーに対しての根幹的な意見を書かせていただきます。復讐という行為自体はある程度のカタルシスをもたらすものですが、そもそも復讐という行為は選択肢として選んでよいものなのでしょうか。この問いに対しては、個人的な応答があります。

 私自身が復讐めいた行為を達成した際、充足感は確かにありました。しかし、充足感の後に感じたのは虚無感でした。そののちには、しばらく空白だけがありました。この体験から、復讐は何も生み出さないと知ったのです。もちろん、物語上の行為なのだから、そんな話はお呼びでないというのは分かります。それでも、復讐にまつわる話や体験を見聞きした際は思ってほしいのです。復讐は何も生み出さないと。

 今回の物語の中で、最後に惨殺された、いじめを行っていた少年たちは、現実世界においては、しかるべき支援を受ける必要のあった子ども達です。もちろん加害を受けていたオスカーにも支援が必要です。それぞれに適切な支援があれば、違った関係として互いに付き合えたのではないかと思います。排除ではなく、まず支援を。これも考えていただきたい事です。そして、そのうえでそれぞれの物語を楽しんでいただければと思います。

 

以上、『ぼくのイェリ』感想でした。ありがとうございました。