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映画感覚思考

映画を観て感じたこと、考えたことを書いていきます。

映画評:『ウォッチメン』

映画感覚思考で紹介する1つ目の映画です。

 

 

 

 

      Who watches the watchmen?

 

 

 

 

 

 

 

           『ウォッチメン

             原題:Watchmen

 

 

あらすじ

 1985年アメリカ―。ある夜、1人の人間が死んだ…。舞台は、かつてヒーローがチームを作り、犯罪者と闘っていた世界。しかし、法規制によりヒーローは引退を余儀なくされていた。しかし、1人の人間の死から、物語は再び動き出す―。

 

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 この映画感覚思考を始めるに当たり、どうしても『ウォッチメン』を最初の記事にしたいと思っていました。というのも、この映画を初めて見たのは2年以上前になるのですが、まだ映画にどっぷり浸かっていなかった昔の自分にとっては、『ウォッチメン』の衝撃はかなりのものでした。ヒーローを題材にしていながら、等身大の人間的なヒーローをダークでシリアスなトーンで描いたこの映画は、アベンジャーズを描いたマーベル・シネマティック・ユニバースとは明らかに毛色の違う、“THE 大人向け”の映画であり、ヒーロー達が見せるあまりにも人間的な姿に強く、強く惹かれたことを記憶しています。全くの情報なしで観たというのも大きかったかもしれません。とにかく世界観やキャラクター、ストーリーがものすごくツボだったのです。おすすめです!!

 

ちなみに、元になったコミックスは、とてつもない名作です!!!

ぜひ、読んでみてください。

 

オススメ度:☆☆☆☆(おすすめ!)

 

 

 

 

     ↓↓↓以下ネタバレを含みます。↓↓↓

 

 

 非常に味わい深い作品だと思います。これは個人的な解釈ですが、私はこの映画を【コメディアン】の文脈で捉えていました。それというのも、作品の中に盛り込まれた政治や社会、人間の生き様、人間存在への風刺を通して、

 

【私たちが生きる現実世界は、恐ろしいコメディ】である、

 

という事を暴露された感覚を初見時に覚えたからです。

独特な映画体験でした。今考えても、身震いがしますね。

 

 

 この映画を初めて見たときは、【コメディアン】という存在そのものが衝撃的で、【コメディアン】が起こす行動の一つ一つが、風刺のきいたとてつもないブラックユーモアだという表現が新鮮でした。そして、映画全体に流れる、”ヒーロー”という存在のブラックユーモアさ。ブラックユーモアとしての“ヒーロー”の人間的な営み、生き様が描かれた描写は当時の自分には鮮烈でした。

 小さい頃から、スーパー戦隊仮面ライダー、その他の特撮ヒーローを見て育った自分にとって、”ヒーロー”という概念はとても大きな存在です。いわゆる正義の味方である特撮ヒーローには、描かれていない部分(死や流血、葛藤など)が多すぎる、という事を子ども心に思ってからは、先述した部分が描写された、いわゆるダークヒーローや、桂正和の漫画「ZETMAN」などに触れてきて、10代のうちは、それらから強く影響を受けてきました。そして、自分の中で、“ヒーロー“という存在が、自身の実存に深く影響を与え、”ヒーローとは何か“という命題を自分の中に持つようになりました。そして、当時、自身の実存的な存在に悩んでいたタイミングで、この映画を観たときは衝撃だったのです。

ヒーローたちを通して、

 

戦争、暴力、権力、政治、性、志、仲間などを全て

 

【コメディ】として捉えた時、

 

世界がとても恐ろしいものに思えたのです。

 

 この映画から受けた影響は、書いていて思ったのですが計り知れないものがあります。オジマンディアスへの憧れ、【コメディアン】への畏敬、Dr.マンハッタンへの畏怖、ロールシャッハへの複雑な思い、『ウォッチメン』から影響を受けた様々なものが内在化している気がします。自分としては、思い入れのある作品なのです。

 

 

 そして、初めて買ったアメコミも『ウォッチメン』でした。当時、コミックス一冊の高さに驚愕した覚えがあります…。ただ、その値段に値する、いやそれ以上の内容なので、買ってよかったと思っています。この記事を書くに当たり、久しぶりに読み返したのですが、コミックスの内容の濃さに圧倒されてしまいました。まだ読んでいない方にはぜひ読んでいただきたいのですが、かなりの大作ですので、時間に余裕がある時に心ゆくまでお楽しみください。

 

 どのキャラクターにも思い入れがあるのですが、自分はオジマンディアスに憧れました。それは、映画の影響というよりも、コミックスの影響が大きいですね。0から己の力のみで、一代で財を為し、世界の動きを多岐にわたって把握し、自分なりの世界平和を目指そうというその野望はとても刺激的でした。当時、世界の様々な動きを全て把握する事は可能だと思い込んでいた自分にとって、その生き様は非常に魅力的でした。もちろん今は、それが可能だとは考えていませんけども。中でもストーリーの最後、オジマンディアスが行った世界統一への方策。それが、10代に自分が心酔して影響を受けた『機動戦士ガンダム00』のソレスタルビーイングの存在理由と重なり、ああ、こんな世界の和平への道もあるのかと、とても考えさせられる内容でした。ただ、当時はとても刺激的だったその考えも、【コメディアン】の文脈で考えるとその方策自体が恐ろしい【コメディ】であると、今は俯瞰して捉えられるようになった自分がいます。

 

 

 今回映画を見ていて思ったのは、同じDCコミックスの“ヴィラン(悪者)”達を描いた映画『スーサイド・スクワッド』に、『ウォッチメン』は重なる部分があるなと思いました。『ウォッチメン』に出てくるキャラクターは“ヒーロー”といえども、その実態はいわゆる“ヴィラン”を倒して自己満足を得たい変態的な人々です。特にそれが現れているのは、“ナイトオウル”と“シルクスペクター”。途中2人が素顔でチンピラ達をボコるあのシーン。人、殺してますからね。首にナイフぶっ刺してますからね。それで笑ってますからね。ヒーローの時、面目躍如で人を殴っていた感覚を味わいたいだけですからね。人間としてかなり一線を越えてしまった人たちであるのは明らかなのではないかと思います。そこらへんが、『スーサイド・スクワッド』で“ヒーロー”として出てくる“ヴィラン”達と紙一重だったのではないかなという印象を受けました。

 

“現実社会において、ヒーローとヴィランは紙一重である”。

 

自分で言うのも何ですが、言いえて妙な気がします。

 また、ストーリー運びも似ているなと思いました。両作品とも群像劇であり、それぞれのキャラクターの過去を振り返り、キャラクターの紹介パートでもありながら、ストーリーを前に進めていく。ただ、『ウォッチメン』の方が何倍もうまいと思いますが。『スーサイド・スクワッド』の回想は、その後のストーリーに絡んでくる要素はほぼなく、キャラクター紹介描写に終始していた気がします。『スーサイド・スクワッド』は作品とキャラクターに深みがなさ過ぎて、なあなあな感じが心底嫌だったんですけど。ハーレー・クインは最高。ええ、最高。おっと、話がずれてしまいました。

 

 

 ちなみに、『ウォッチメン』の映画とコミックスには相違点があります。コミックスの方が映画よりも内容が濃いです。逆に言えば、

 

コミックスのとてつもない濃さを何とかして163分の映像に収めた

 

という所です。映画を観ていいなと思った人は是非、コミックスも読んでみてください。コミックスと比べると、映画は少し粗がある事と、一部のキャラクター性が変わってしまっているのは少し引っかかる部分かもしれません。先述した“ナイトオウル”と“シルクスペクター”の過剰な暴力はコミックスにはありません。また、映画のロールシャッハは自身の道理を通すキャラクターとしてある意味美化されていますが、コミックスではその固定的な道理故に差別的な言動をする描写があり、かなり複雑な内面性を持つキャラクターとして描かれています。その複雑性をそぎ落とし、スマートに分かりやすくしたために、映画のロールシャッハは人気が出やすいようなキャラクターになっているのかと思います。そして、映画では、コミックスよりも“ジョーク”や“コメディ”という言葉が強調されているように思います。この作品には、重層的な幾つものメッセージがありますが、映画とコミックスでは、より伝えたいメッセージの比重が違うのではないかと思います。

 コミックスではあらゆる面において、本当に描写が秀逸です。コミックスを読む際は、1980年代の価値観が色々な部分でリアルに描かれているので、その視点を持って、注意して読み進めた方がいいかもしれません。歴史の知識と政治的知識(特にアメリカ)を知っておくと、より世界観に入り込むことが出来るかと思います。

 

 

 

 私はこの作品を【コメディアン】の文脈で理解したと言いました。観客によって作品の解釈が異なるというのは、作品を味わう醍醐味だと思います。他の人からすれば、また異なった解釈がたくさんあると思います。そんな中で、この解釈は抑えておいた方が良いかもしれないというものを、紹介したいと思います。

 それは、毎週土曜22時に放送しているTBSラジオ「ウィークエンド・シャッフル」パーソナリティ、宇多丸さんの『ウォッチメン』評です。この番組の映画評コーナー名がずばり、「週刊映画時評 ムービーウォッチメン」なのです。『ウォッチメン』がコーナー名の由来なのは言うまでもないと思います。このコーナー名に惹かれて、このラジオ番組を聞くようになったという経緯があったりします。そして、宇多丸さんのスタンスに倣い、映画評をする時は2回以上、映画を観た上で、やらせてもらおうと思います。

 宇多丸さんは評の中で、『ウォッチメン』のキャラクターを政治的・社会的メタファーとして位置づけ、アメリカを描いた作品であると評しています。その視点は自分にもあったのですが、あまりにも的確に宇多丸さんはその視点で評をしており、感嘆した次第です。

 私は、映画から『ウォッチメン』に触れたために、作品を【コメディアン】の文脈で読み解き、コミックスも同じ文脈で読んでいたのですが、宇多丸さんの評を聞いて、自分がいかに映画版『ウォッチメン』に引きずられて、コミックスを読んでいたかが分かりました。その事によって気付けていなかった考えが、宇多丸さんの評でありありと浮かびあがったのです。検索すれば、宇多丸さんの評を知ることができますので、参考にしてみてください。

 

 そして、宇多丸さんの評に対して、私が1つ応答したい事があります。宇多丸さんは、ナイトオウルは、コミックスでは日和見主義者として描かれていると言っていました。その評を聞いて私もなるほどなと思いました。しかし映画では、ナイトオウルは宇多丸さんが言うとおり、偽善者的側面が強調されているのではないかと思います。これがあえて、そのような描かれ方をされているのかは分かりませんが。例えば、初代ナイトオウルと現ナイトオウルが話をしている場面での一言、“(ニクソンは)共産主義よりマシだ”や、ロールシャッハを脱獄させようとシルクスペクターに説く際、火事を消すのと刑務所に乗り込むのは違うという言葉に対して“だが より面白い”と言うセリフ。そして、ロールシャッハがDr.マンハッタンによって爆散させられた後のやり場のない怒りの発散。全て、安直で固定的な観念と欲動で行動している姿が表現されているのではないかと思います。

 このナイトオウルの言動に表れているように、コミックスに比べて映画は、

 

“人間の野蛮さ”

 

が全編を通してより分かりやすく強調されていたのではないかと思います。過剰な暴力描写、アクションシーン、セックスシーン等によってです。それらは、ロールシャッハが【コメディアン】の存在性について思いを馳せる墓地でのシーンのセリフに集約さえているのではないでしょうか。

 

“エドワード・ブレイク 別名 コメディアン”

1918年に生まれ 雨の中 葬られた

殺されて”

“これが俺たちの末路か?”

“友人は来ず―”

 “花をかたむけるのは敵だけ”

“暴力の果ては暴力に終わる”

“奴は分かってた”

人間の本性は野蛮だと

“どれだけ うわべを着飾り ごまかしても―”

“社会の素顔を 奴は見抜いて―” 

“自ら そのパロディとなった”

 

 これらのセリフはコミックスの同じシーンのセリフよりも、より分かりやすくメッセージが読み取れるセリフとなっています。“人間の野蛮さ“によって争いは起き、戦争が起き、人類滅亡を人間自らの手によって引き起こそうとしている。コメディアンはそのパロディであったんだと。しかし、この野蛮性を強調するのであれば、宇多丸さんも指摘している通り、核のメタファーであるクライマックスで、破壊された街を映す際、死体描写があるべきだったのではないかと思います。こんなにも、人間が作り出したものは野蛮なのだと訴えるために。やはりそこは、宇多丸さんが指摘しているように、アメリカから見た核という存在への現実感のなさが表れているのかもしれません。

 

個人的に映画『ウォッチメン』を総括すると、

 

コミックスの重層的なストーリーを凝縮し、

“人間の野蛮さ”を“恐ろしいコメディ”として強調した

 

映画なのではないかと思います。

 

 

 ここからは個人的な雑感です。ものすごく好きな映画だという記憶はあったのですが、今まで見返す事はなく、今回記事を書くに当たり、改めて鑑賞した感想としては、当然だけど初回よりも衝撃はなく、7年前の映画という事もあって、映像としての粗が気になってしまいましたが、おぉ…という感覚を得られました。感嘆と感慨がありましたね。

 

 冒頭の、この作品の世界観や登場人物を概説していくあのシーン、とても好みです。あのシーンは、ボブ・ディランの「時代は変わる」という曲がとても効果的に使われているようです。一連のシーンで使われているパロディもとても効果的だと思います。『ウォッチメン』の風刺性があの一連のシーンで分かりやすく伝えられているのではないでしょうか。

 そして、最後のオチ、たまりませんね。想像が膨らみますね。たまりませんね。ロールシャッハが紡いだ可能性。それが結実するかどうかは分かりません。しかし、その可能性は残され、繋がろうとしている場面というラストカット。“伝わる可能性”それが0ではない事が暗示された、あのラストカットの後にどんな世界が待ち受けるのか。とてもとても味わい深いです。

 

 私の記憶の中では、もう少し生々しく小汚いイメージが映画『ウォッチメン』にはあったのですが、コミックスの影響が知らず知らずのうちにあって、自分の中のイメージに影響を与えていたのかもしれません。特に。コメディアンのアーマー?が小綺麗すぎて、リアルさの面で、若干の違和感を感じましたね。加えて、芝居に力が入り過ぎていて、キャラクターから漏れ出してくる自然な言葉として、セリフが素直に受け取れなかった場面もありました。力みすぎちゃったのかな。そこらへんで気になる事はあっても、個人的に思い入れのある作品ではあるし、内面に少なくない影響も受けた映画でもあり、エンタメとしても質は確保されている上に、世界観やキャラクター、ストーリーが一級品(原作コミックのおかげ)で、魅力的なキャラクター達が動いている映像を見られるだけでも、世界観に浸っていられる良い時間を過ごせる気がします。ロールシャッハの造形たまらんな。Dr.マンハッタンを現在のCG水準で観たいですね。特に火星のシーン。うん、コメディアンの若干の小綺麗さ以外は、キャラクターの造形がとても良いと思います。美術さん、衣装さんありがとう。なんかコメディアン引っかかっちゃったんですよね。しかし、おすすめの作品です。

 

 余談ですが、アメリカでは、ディレクターズ・カット版186分、アルティメット版215分が収録されたパッケージが発売されているそうです。正直めちゃくちゃ観たいですね。日本未発売ですが、輸入盤で手に入れられるとか。

 

 以上が、『ウォッチメン』評となります。ありがとうございまし